ずっと わかって欲しかった
(まるで 別れを目前にした男女のささやき(^-^;)
だから
過去の記事から引っ越しをして
わかっていただこうとしたのだが
過去のブログを読んでみたけれど
庭もブログも
作者であるはずの自分が
わかりにくい
何を伝えたいのか・・・
(庭がこうしてこうなった
ということを
わかっていただきたいのですけれど・・・)
写真が無いのも
原因の一つ
何かにつけて
文字で説明しようとしている
過去を振り返って判明したのだが
エクスペリアを購入したのが
2012年(平成24年)
今の庭での土との闘いが始まったのが
2005年(平成17年)
それまでは
撮るとしたら
ガラ携
だから 今ほど写真がないのかな
と 思うたのだが
諦めのわるいわたしは
ここしばらく
昔の写真と 過去のブログを読み漁り
以前の我が家の写真を
一生懸命 探した
その結果
発見!
建築当初の我が家
これが 2005年1月(平成17年1月)
前年12月31日 バッグ一つさげて
とりあえず お引越し
と確かこの年の新年は ここで過ごした
この土地にありついたのは 私たちが最初なので
たぬき か 狐 か イノシシか
たまに ウサギも
街灯もなく 真っ暗闇だったけれど
中島龍興先生 の照明計画による
庭の照明だけが
帰途についた 私たちのよりどころだった
そういえば
庭の照明 いつ施工してもらったっけ?
あるある
エゴの木の前に照明あるある
このころには
西城の庭師さんに
軽く形をつくってもらっていた
その時に
「完成してないので
このあとは 奥さんがなさったらいいですよ」
と言うていただいのだった
それまで草木を愛でたこともなかった私が
いつから庭師となったのか
徐々に芽生えた
雑木の庭への憧れ
そうなると
コニファーや
モクレンは 違和感あり
やがて どちらも
間引かれることとなる(残酷)
そして
翌年2006年2月(平成18年)
のちに ほうそう と称される
木々を植林???
ホームページに首っ引きとなり
毎日
どの木にしようかな
と 選ぶのが楽しかった
西城の師匠から
2月ごろに植えるのがよいと
教えていただいていたので
先に 樹木たちは 予約を済ませ
遠く岐阜の地から 取り寄せることにした
まずは
地ならしからと
土くれと闘う日々が 始まったのである
そうだ
ちょっとした 小山を作ろう! っと
軽い気持ち
ほんとに 軽い気持ちで始めた
造成・・・
というか 土入れ
ともかく このこんもり感を出すまでが
一苦労
トラック雇い
ユンボも雇い
いつの間にか
一大造成計画となっていた
この写真は
到着した 木々を植えたばかりのころだと思う
お隣との間の
石垣の高さは1メートルちょっとあるので
この写真だと そのまま お隣の敷地に上がれる感じ
相当盛った様子 すごい
しかし
土は 沈下していく
沈下というか ともかく
どんどん低くなっていく 沈んで行く
柔らかいので 寄せ植え状態で
気に入らない樹木は
あちらへ こちらへ
と しまいには
写真右手に映っている
モクレン(棒に見えますが モクレンです)
雑木の庭には似合わんと
バックヤードに
ひこずりながら移植
上部は 枯れ木に見えても
根っこ部分は
土が絡まっていて
ずっしりと重たい
岐阜から取り寄せた 木々を
愛しそうに あちらへ こちらへと
いそいそと植える嫁を見て
姑 曰はく
「TERUNOさんの好きな木は
ほうそう(お風呂の薪になるような 軽い細い木の枝のこと)みたいやねぇ」
意外と執念深いわたしは
そんな言葉は忘れない
確かに 竹箒のような樹木を
一本一本
まるで大きな寄せ植えをするように
配置を考え
短日の2月に
暗くなるまで 植えに植えた
雪も降ったりして
寒かったけれど
楽しい日々だった
落葉樹は
以外と簡単にみつかったのだが
なかなか 無いのが
常緑の樹木
その中で 数少ない常緑樹のハイノキ
写真 右側
何年たっても
根付かず
やはり 緯度が異なる地域では
育たないのかと 実感
弱り切っていた
このハイノキは
小出ワールド作成時に
淘汰された
そして
この ほうそう のような木々も
数年後には
2010年2月(平成22年)
雑木の庭っぽくなってきていた
しかし
ほうそう感(薪感)はますます 強くなった感じがする
わたしに ひこずられて
北側に連れてこられたモクレンは
その後数年 花を咲かせなかったのだが
この年ようやく 開花
そして
盛り土をしたばかりの頃は
小さい小さ雑草も目に付いて
きぃっとなって
ほんとに頭にくる 雑草の根性よ!!!
と
毎日 引っこ抜いていたのだけれど・・・
5年も経つと このとおり
エゴの木も
こんなことに・・・
これが 2011年7月(平成23年)
ほったらかしに・・・
シルバーさんに出動依頼
こういう状態を続けるのもな
どうしたもんじゃろ
と思い始めていた
翌年の春
世界の小出が乗り出してくれた
のだった
そうや そうや そういう流れや
くだんの盛り土の 小さい丘のつもりの
西半分の庭
つまり
TERUNO建設 作の雑木の庭を含む
以前の庭は
ジャングルと化したりもしていたのだが
夫が最初にデザインしてくれていた
この枕木の塀と玄関へのアプローチ部分は
なかなか風情があった
TERUNO の庭
ベストショット
しっとりとしていて
ポストの前の空間に
ワイルドフラワーを植えて楽しんだ
草ぼうぼうまで ほったらかしさえしなかったら
なかなかの庭だった し
TERUNOの庭が好きでした
と言うてくれる 御人もおわした
のだけれど
小出マジックにより
さきほどの たたずまいが
こんなに素敵に
どう考えても
私の力では右手前の
武蔵野けやき
なんて 植えることは不可能
重機がないと 無理
さすが 小出先生<(_ _)>
芝生も青く 美しい
かっこいい(*^^*) 流石!
ちなみに
カツラだけは
小出先生も植え替えられることもなく
私が植えた状態で
そのまま 育って
こんなに大きくなっている(右手前)
私が最初に選んだ木々は
せいぜい 大きくても1.5メートル
自分で植えるためには
そのくらいが限界だった
それが
今では
2階から手が届きそうなところまで成長して
感無量
何度も風で倒れたし
北西の風に 吹かれ
なんとなく
東に傾斜したままなのが
気になっていたが
いつの間にか
天に向かってまっすぐに伸びている
大きくなったもんだ
はあ~
すっきりした
ブログ書いてたおかげで
TERUNOの庭の変遷も
思い出すことができました
めでたしめでたし!(^^)!
私の 思い出のアルバムにお付き合いくださり
ありがとうございました
旧ブログに掲載した
小出先生の庭づくりは
パソコンならば右端の下のほう
携帯でしたら
下のほうに
庭造り 第2弾 小出ワールド
としてアップしてあります
お時間あれば どうぞ
19.04.17.(水) : 庭の変遷