家こんなこと

ようこそ てーちゃんブログへ

抱き合って

別れた友に

翌朝電話すると

まだ 高知にいて

日曜市に来ているというではないか

 

なら

会いましょう

一緒にモーニング

 

酒の席とは異なり

落ち着いて話をすることができた

少しだけ先延ばしとなった

別れも

ついには訪れ

かくして

それぞれが

それぞれの場所に戻っていった

 

*******************

 

そうでなくても

若者は

都会に出ていくことの多い卒業後

 

もともと

全国区と言う校風

高知に残る卒業生はわずか  

 

教育方針が独特なので

賛否は別れる母校である

 

実は

私自身も

母校では

真面目な生徒として

先生方からも

おそらく

同級生

後輩からも

大事にしてもらう 

優等生だった

 

のに

 

大学卒業時には

初代幸雄校長先生から

じきじきに

電話をいただき

 

「帰って来いよ」

明徳への帰還を

待ち望んでいただいていた

そんな生徒だった

 

のに  

 

そのお誘いを断った

わたしに

 

幸雄校長から

その

落胆ぶりが

にじみ出る

父親の悲しみにも似た

直筆のはがきをいただいた

 

のに

 

 

母校に対して 

 

固く心を閉ざした時期があり  

 

同じ須崎市に暮らしていながら

 

明徳への恩返しも

何もできないまま

歳を重ねてきた

 

幸雄先生の

 

「学校は絶対に

つぶしたらいかん!!!

 

卒業生が悲しい思いをする」

 

との言葉が耳に残る

 

学校を存続させるための

たくさんの困難 施策

我々生徒の知るところではない

 

中学生という

まだ未発達な人格の持ち主のわたしは

どちらかと言えば

アンチ吉田先生グループの

教員チームとの

かかわりが深く

 

教育者というより

実業家だから

と非難する彼らの言葉を

鵜呑みにし

母校を斜めに見ていた

青春時代

 

そんな

あまり深い根拠もなく

母校とは

かかわりの薄い道を歩んできた

 

仮に今

呼んでいただいたとしても

体力も精神力も尽き果てて

何の役にもたたない

老人となり果ててしまったのだけれど 

 

難しいことは

抜きにして

 

中学 高校という

多感な時期を

明徳の谷間で

過ごし

 

どんなに

大風呂敷と言われても

やはり

すごい人物であった

幸雄校長に出会い 

 

その校長の選ぶ

ただの中学生であれば

けして 出会えないような

偉人たちと出会い

そういう

出会いのおかげで

通常では経験できない

中学高校時代を過ごさせてもらった

 

往復ビンタなど

明徳へ行ってなかったら

絶対

経験できなかったよね 

当時から痩せこけておられた

幸雄校長のビンタは

一期生の漫画家 上北双子作 そっくり

 

カスビンで

ちっとも痛くなかったけれど

 

「寮長のお前が

なにをしゆう!!!」」

 

という

言葉がささり 

 

初の

カスビンの驚きと屈辱もあいまって

 

涙が止まらなかった

貴重な体験だ

 

 

ほんとに

今思えば 

ドキドキ

ワクワク

そして

キラキラした

中学高校時代だった 

 

*****

宴のあと

 

忘れていた

苦い思い出や

懐かしい言葉

色々な思いのあふれた

大同窓会のあと

 

 

  

この

大同窓会の仕掛け人

 

忘れていた

今回の立役者

2期生の木戸君に

お礼のラインを送った

わたしからのありがとう

のラインに応えて

K戸君からの返信

 

*****

・・・・・・・・

今回の大同窓会の一番の目標は

ゼロ期

一期生が何人参加していただけるかでした

・・・・・・・中略 

 

だから

参加者締め切り時点で、一番多いであろうと

思っていた2期生より

1期の方々が上回るというのを見て、

A地と

「この時点で8割方成功したな」

と喜びました。

 

***********

ジーンときた

 

口を開けて

 

待っていただけの

 

我々一期生の参加を

 

こんなに喜んでくれて・・・

 

好きであろうとなかろうと

否応なしに

共に過ごした数年間

同じ釜の飯を食った

仲間たちとの再会 

 

同期だけではない

大同窓会

 

そんな

大きな同窓会

出会いの場を

 

献立てくれた

K戸君

A地君

ありがとう

わたしたちの参加を

喜んでくれてありがとう 

そして

 

お疲れさまでした<(_ _)>

******

 

再び

元の生活に戻ったみんな

 

また会える日を楽しみに

元気で長生き?

もう10年は

自分の足で歩いて

みんなとまた

美味しいお酒が吞めるように

 

健康な身体でいようね(^O^)/

 

がんばろう( `ー´)ノ 

またね

 

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23.10.17.(火) : 大同窓会 その4    宴のあと

ちょっと

薄くなった頭髪を隠さねば

美容院には必ず行く

決めていた当日

 

見事

ふわふわヘア―にはしてもらったけれど

かさ高く

くるくるふわふわだったので

前から見ると

 

ちょっと

玄人のママ風に仕上がってしまった( ;∀;)

 

 

以前

柳町(高知の飲み屋街)を歩いていたら

「ママ!!」

 と知らない男性から

声をかけられた

苦い思い出がよみがえる

 

うしろから見たら

ボロは隠せているんだけどな・・・

 

どないしよ

とか思いながら 

 

かさ高になった

頭を

上から押し付けたり

なんか

じたばたしている間に

 

開始時刻に 

・・・・・・

 

会場に到着するなり

 

いやあ

頭の毛がママ風だとか

そんなこと

吹っ飛んで行った

 

 

会う人みんなが懐かしい

 

 

わからなかった最強男子

一級下の

K野君

 

このおじさんはだれだろう?

 

小さくて

どちらかと言えば

一休さん系だった僕が

ガタイの大きい背の高いおじさんに変貌していた

 

一方

40年ぶりにあっても

中学時代と

ほんとに変わらない女子たち

女子に贔屓目

 

 

ともかく

会う人すべてが

懐かしすぎて 

自分のことを振り返っている暇など

 

幸か不幸か

全くなくなった

校歌斉唱

 

校歌斉唱に続き

郷里に向かって

朝晩の 朝礼 夕礼の席で

親元を離れて暮らしているわたしたちは

遠く離れた家族に思いをはせて

郷里に向かって

ありがとう

って

感謝の お辞儀をしていた 

 

そんなこと

すっかり忘れていた( ;∀;)

 

ほんとに

涙が出るほど

懐かしかった

 

でも

 

場内は騒然

え?????

どっちが東???

突然のホテルの宴会場では

東西南北 方向がわからない

・・・

しかし

流石

明徳卒業生

 

一瞬 の戸惑いののち

 

老いも若きも

めいめいが

郷里に向かってお辞儀をしていた

 

感動

もう

郷里には

両親もいなくなって

実家がそこに無い人もたくさんいるはず

しかし

故郷はそこ

懐かしの

「郷里に向かって」

 

 

何十年ぶりかに歌った校歌も

周りの後輩たちから

よく覚えていますね(*^^*)

と感心してもらえるほど

覚えていた(^O^)/  

 

「郷里に向かって」

「校歌斉唱」

 

献立て最高(^O^)/

 

懐かしい同級生だけでなく

後輩たちとの語らい 

 

そうこうしているうちに

宴も終わりに近づき

・・・

 

うう

一晩では語りつくせぬ

この際

 

 

みんなと仲良く! 

ではなく  

ターゲットは絞らねば(‘◇’)ゞ 

目をつけた

中学時代の二人の女子とだけは

離れ離れにならないように

1次会途中から

しっかりマーク

 

 

ふたりを

固くキープして

3次会までなだれ込んだ

 

気づけば

午前様

午前1時を過ぎていた

こんな時間まで吞んだのは

いつぶり???

 

離れ難い友

これでまた

何年か会えないのか

はたまた一生会えないかも

と思うと

追手筋の信号の下で

抱き合って

別れを惜しんだ 

TO BE CONT

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23.10.16.(月) : 大同窓会 その3 迎えた当日

わたしは

明徳中学校の2期生

明徳義塾高校の1期生

 

明徳義塾中高等学校ができて

今年で50周年

 

幻の一期生と言われる

中学1期生を2年生とし

我々の学年を1年生として

 

中学が開校したのが

昭和48年

1973年

モラロジーを基本理念とする

学校として

全国から

モラロジアンの子供たちが集まった

 

まだ

寮も校舎も校庭も

工事途中のような

高知の浦ノ内の谷間に

 

当時の父や母たちは

よくぞ 

小学校を卒業したばかりの

子供たちを送り込んだものだ

と感心する

全寮制 

 

今とは異なり

全員 寮生活

休みは

夏冬春合わせて

10日もあっただろうか・・・

 

そんな中学高校時代を過ごした

仲間たち

との再会

 

 

仲が良くも悪くも

兄弟や家族との再会と

同じ感覚

 

還暦を超えたわれわれは

次回またいつ会えるのか

 

1年1年が貴重な出会いだ

 

 

本当に

会えてよかった

なんとなく

ほんわか 温かな気持ちに包まれて

 

家路についた

 

 ************

始まりは

40周年記念

今から10年も前のこと

有志のK君が立ち上がり

 

大同窓会を開こうということになったのだそうだ

50周年大同窓会の

終わった翌日

K君本人から聞いた 

 

いや10年前に

耳にはしていたかもしれないが

面倒くさそうなことに

首をつっこまないでおこうという

精神が

 

知らないふりをさせていた

 

 

そんな

責任感のない1期生(高校)のわたしが

その大同窓会のお知らせを耳にしたのは

9月初め

同窓会は10月7日

 

一か月前????

 

しかも

後輩から届いた案内文・・・

 

無関心だったくせに

見ざる言わざる聞かざる

非協力的だったくせに

(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

 

流石に

後輩から知らされたショックは隠せず

 

副会長になってるやんか!

の親友のFちゃんに

早速LINE

 

T 「こんなお知らせ来たよ」 

 

T 「みんなにお知らせは来ないの?」

 

F 「9000人近くもいるので

そんな費用はない」

 

T 「ええ!!!!

じゃあ

小規模同窓会ながやね?」

 

と言うと

 

F 「いや大々的」

 

と言うから

 

T 「えええ!!!!!」

 

と驚き

 

これは!

知ってる限りの同級生に声をかけねば

 

 

やっとこさ

重い腰を上げたのが

9月9日 

 

でも

野球部など

卒業生の連絡網がある人たちには

すでに知らされたいたようで

少し安心

 

一つ下(つまり2期生)の

Hちゃんに

電話で確認したら

 

2期生は

さきほどの

K君が中心になって

すでに20名近くの参加者が確定している(^O^)/

 

というではないか!!!!

 

いかん(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

ともかく

声掛けせねば!!! 

 

TO BE CONTINUED

 

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23.10.14.(土) : 50周年同窓会 その1