大変なご無沙汰(*^^*)
本年上半期は
たくさんのことがあった
まず
4月
父が100歳の人生を閉じた
姑が亡くなったときに
決心したとおり
のシナリオに沿って
JA葬祭に電話
亡くなったのが4月4日で
10日まで告別式ができないという
えーーーーー
それはあまりに長い
シナリオどおりにはいかない
では
どこで・・・?
ネットで調べる・・・が
何度経験しても
慌てている
この点成長は見られない
ベルモニー会館
ともかく
そこに電話
…したつもりが…
0120に電話したら
告別式の相談はこちらに
と
まさかの時のための
お葬式のコンサル会社だった・・・
まさかのときのために
じゃなくて
い ま
今
今
必要な
お迎え と 行先!!!!!
やっとわかってもらえて
ベルモニーに繋がるまでに
かれこれ30分
それでは
2時半から3時ごろまでにお迎えに上がります
と電話を切ったのが
1時半
ああ
まだ1時間も待たねばならないのか・・・
とその間に
まずは姉に
夫に
と連絡を終え
お迎えを待った
着いた先は
JAでこそなかったが
ホテル並みのデラックスな
お部屋
4日から
ここなら8日に告別式ができるそうなので
(いずれにせよ だいぶ先
4月はお葬式ラッシュだったのか・・・)
4泊5日の中期滞在も
何とか
いや快適に乗り切れそう(*^^*)
しかし
さすがに1人きりだと
夜になると寂しい
忙しい従妹に声をかけ
従妹と二人で
一回目の夜を乗り切る
翌日
東京から姉が帰省
とりあえず
父の守り人は確保
告別式までの間にせねばならない
会社の用事を済ませ
告別式の前日までは
ほぼ
父もわたしたちも
ほったらかし
ただの
遺体付きのホテル暮らし(*´з`)
一つ 変わったことと言えば
湯灌
というものを行ってもらった
昔も ゆかん
と言うて
家で亡くなった人の身体を清めていたように
おぼろげな記憶があるのだが
今回は
プロの湯灌
あまり見ることはなかろうと
ガン見!させてもらった
そもそも
この豪華ホテルのしつらいは
玄関
玄関ホール
LDK
ベッドルーム
遺体安置室
浴室
となっている
LDKのLが
広い畳の部屋で
そこが 私たちの寝室となっている
その控室の中心部分
その広い畳の部屋に
大きな浴槽を置いて
そこで
亡くなった人の
身体を清める
この手さばきの良さには驚いた
水?かお湯か知らないが
ふんだんに使うのに
一滴も落とさぬ技で
てきぱきと
父の身体を清め
開きかかっていた口元も上手に閉じてくれた
でも
もともとハンサムだった父の顔は
生前とは
ちょっと違った表情になっていて
亡くなって3日も経つと
もう父はここにはいないのだなと
魂の抜け殻となった遺体を見て
妙な感慨にとらわれた
そして
通夜
本当の家族葬
コロナということもあり
ほんの数人
一応喪主だったので
最後の挨拶をすることとなり
父の人生を語った
豪放磊落で
明治生まれでアメリカにわたり
アメリカ人をketou呼ばわり
まあ
あからさまにジャップと呼ばれていた時代なので
仕方ない
そんな 祖父からは
勤勉実直 まじめ一筋の父は
小さな男だと 見下されていたことを
ちらりと話すと
周囲から
それはちょっと(ー_ー)!!
とクレームが入り
翌日は
違う角度から
父を語ることにした
告別式 喪主挨拶
スポーツが大好きで
相撲や野球は
バイクに乗って
どこまででも見に行った
安芸のキャンプ
春野球場
相撲の地方場所
父の愛車は
退職してから
元勤務先の郵便局から払い下げてもらったバイク
けして
新車など買わない
そう
けして
贅沢をせず
娘二人を大学にやり
私の母校の明徳が大好きで
認知症を患ってからは
わたしは
明徳の卒業生です
と言うていた
考えてみれば
豪放磊落でこそなかったけれど
両親を看取り
妻も看取り
愛車に乗って
好きな時に 好きなスポーツ観戦に赴き
誰にも迷惑をかけることなく
100年の人生を閉じた
あっぱれな100年だった
お疲れ様
ゆっくり休んでください
そう言って
父をおくった
ありがとう
お父さん
22.07.31.(日) : 上半期を振り返り その1 父逝く