出勤
まずは朝のお掃除
いつもどおり
快調に進む
昔ながらの男子トイレ
快調に・・・
と
突然
何の前触れもなく
転んだ
10センチの段差に
右足をぐにゃりと 横向きに転んだ
痛くはなかったけれど
突然 転んだことに
心臓がバクバク
あんまりドキドキするので
心臓のバクバクに驚いた
自慢だが・・
わたしは
ねん挫をしたことがない
61年間
整形外科的治療は
一切必要なかった
せいぜい 突き指か ぎっくり腰
なんでも
自慢したいわたしは
その日も
スタッフに
「ねん挫とかしたことないからね!!!」
と
トイレ掃除で
すってんころりんと 転んだところを
誰にも見てもらって?いなかったので
同情を買うためと自慢とで
みんなに言いふらして回った
その昼
突然 立ち上がれなくなった
ん?
足がつったかな・・・
と思ったら
さっきまで
人生 無傷の自分を自慢していたばあさんは
突然
一歩も動けなくなった!!!
だから
みんな 信じていなかった
必死で歩けん!!!
と言うてるのに
無視
シカト
独りぼっち
・・・
(*´з`)
しかし
これほど動けないということは
もしや
折れているかもしれない
と
この際
周囲の冷ややかさは
無視して
突然 病院に行くことを決意した
が
動けん!!!
目の前に夫はいたけれど
こいつは あてにできない
でも
事務所から出ることもままならぬ
なのに
みんな無視やし( ;∀;)
それでも
無傷の左足と両手を駆使して
なんとか
会社の外までは出られた
が
車まで
たどり着けない
植え込み
柵
ありとあらゆる
その辺の構築物を頼りに
なんとか
車までたどり着いた
念の為言っておくと
送っていきましょうか?
という
意思表示はなんとなくあった
が
突然動けなくなり
急に病院に行くと 言い出した私の奇行
なかなか呑み込めなかったらしい
たどり着いた車中
痛いのは
右足
アクセルが踏めない
かろうじて
アクセルを踏んだとしても
ブレーキが
踏めない
痛い
し
何よりも危険!!!
なので
超ノロノロ運転で
シュッパツ シンコウ
無事
病院の
駐車場に到着
もちろん
受付まで行けない
ここは
人様におすがりしよう
病院だしね
お願いしよう
と
目の前の病院に電話して
駐車場まで
迎えに来てもらうことにした
声が元気だったからか
なんだか 知らないけれど
10分
いや
もっと待ったかも
でも
対応してくれたスタッフさんが
とても親切で優しくて
そこからは
重病人扱いとなり
やや 気恥ずかしく
車いすで
何もかも 順調に
整形外科の待合室まで運んでもらえた
車いすに座った足は
右足まっすぐ
足台に足が置けない
直角に曲がらない
バレリーナのように
つま先立ちの状態
立ってないから
つま先伸ばし?
そこからも 待った
車いすなので
それほどの苦痛もなく
30分以上待った
患者さんは
いなかったのに・・・
と
若いドクターが突然現れて
「今日はどうしたぁ?」
「カルテがまだ来てないけど」
と
高齢者に言うように
優しく話しかけてきた
「かくかくしかじか
で
突然あるけなくなったので
もしや
折れているかと思って・・・」
と言うと
「じゃあ
まずは血液検査とレントゲンを
撮ってみよう!」
と言うただけなのに
過去のいろいろな事情から
整形外科医を全く信じていなかったわたしは
突然このドクターに
絶大な信頼を寄せることとなった
整形外科医が血液検査ぁ(*^^*)
やるねぇ
とそれだけで彼のことを信じることとなった
整形外科医は
切った貼ったのお医者さんだと
思っていた
ので
血液調べるとは
やるねぇ
と思った
単純
で
レントゲン撮影 血液検査をしたのち
もちろん
血液検査結果もまあまあ長い時間待ったのち
診察室へ
どうやら
折れてはいないらしい
「あなたがいまやるべきことは
こういうストレッチです。」
と
右足の後ろを腿から臀部にかけて伸ばす
ストレッチを教えてくれた
あと
整体とかマッサージに行った時のように
足を上げたり
押したり
曲げたり 伸ばしたり
「痛~
イタタタ!!!」
と
ぎゃあぎゃあ言うて診ていただいた
これも実は
気に入った
最近のお医者さん
触診しない方増えている
こんな先生珍しい
そして
そういう診察ののち
ぐにゅっとなったのは
右足首なのに
右臀部が原因だと
言われたところも
気に入った
そして
そのあと
次の中から選んでください
①その臀部に直接注射をする
②点滴とお薬
③お薬
もちろんわたしは
②番を選んだ
臀部にいきなり注射は
なんとなく嫌だった
怖い!
と思った
さりとて
お薬だけ
というのも なんなので
点滴とお薬コースを選んだ
事件はここから始まった!
診察室から
処置室までは
少し離れている
でも大丈夫
車いすで至れり尽くせり
運んでもらえる
重患扱い
途中
「トイレは大丈夫ですか?」
と言われて
大丈夫 というたものの
心配になり
「やっぱりトイレに」
と連れて行ってもらった
ら
身障者用の
トイレに運んでもらって
「はいカギを締めてくださいね」
「終わったら処置室に!」
え?
お目目きょとん
今の今まで
重患扱いで至れり尽くせりだったのに
いきなり
バイバイ(@^^)/~~~
トイレに置き去り
しゃあない
なんとか用はたせた
が
車いすに乗り移ることができない
あああん
冷たいナースぅ
カミングバック
と思いながら
乗り移れないから
車いすを手押し車にして
移動
しかし
ちょっとしたハンデがあるだけで
いつもはスイスイ押すことのできる車いすも
今日は
なかなか思う方向に動いてくれない
やっとのことで
って
たった1メートルほどの移動を終え
なんとか
カギを開けて
トイレから脱出した瞬間に
目の前の椅子に座っていた
ヘルパーさんたちが
一斉に立ち上がって
駆けつけてくれた
助かった
あとは
点滴を施してもらい
大量のお薬をもらって
自宅に帰ってから
玄関までは
絶対に自力では 歩けない
と
松葉づえを借りて
帰途についた
大正解!
松葉づえがこれほど役に立つとは思わなかった
松葉づえ無しでは歩けないほどの
右足が
どっこいしょと
やっとこさ家の中に入った右足が
あんなに
着地の難しかった
右足が
数時間ののち
階段を登れるようになり
翌朝は
普通の足に戻っていた
点滴も
大量のお薬も効いたのだろう
すごい
あまりに
劇的回復だったので
松葉づえを返すついでに
直接
先生にお礼を言いに行った
失礼だったかもしれないけれど
GOD’S HANDS!
と褒めたたえた
須崎のK病院の
整形外科医 M先生は
なかなかできる整形外科医です
お試しを!
21.12.17.(金) : 置き去りにされた悲しみ 痛い話し(*´з`)
死亡診断をされたタイミングで
次の手配
そう
葬儀社に電話して
お迎えに来てもらわなければ
そうそう
M葬祭
**のMASAOKAですが
義母がなくなったので
病院にお迎え頼みます
葬儀場は
JAがいいのですが・・・
と言うたら
電話の向こうの声が
・・・・・・・
沈黙
「あのぉ
JAさんの会場は うちは使えません・・・」
そうよ
あんなにシミュレーションしていたのに
依頼先を間違えた
しゃあない
広い畳の部屋で
みんなで修学旅行気分でお布団並べて
寝る 構想は潰えた・・・
よし
わたしは先に帰ろう
帰ってともかく
おばあちゃんの寝床を作らねば
あとは
長女に任せて
病院を去る
そこからは
すごかった
夫の従弟たちは
全員 熊面の 夫にそっくり
毒気がたっぷりな
輩たちが
叔母の突然の訃報を聞いて
夜も遅いというのに
駆けつけてきた
酒盛りの始まり
これが
死亡当日
翌日は
開けて
翌々日がお通夜
そのあと告別式 となったのだが
みんなすごい
毎晩 酒盛りにやってきた
だから
ひとつも 寂しくなかった
お通夜の夜には
熊っこの中の一人がエビのおつゆを炊いて
ふるまってくれた
しかし
その一番肝心な
通夜の晩には
連日の酒盛りと
翌日の告別式を控え
さすがの猛者どもも
お疲れの様子で
10時くらいには
なんとなく みんな帰っていった
ここから
座敷の遠い 葬祭会館を選んでしまった
悲劇が始まった
一部は 離れた家族の控室で布団で横になり
一部は 棺の置かれた会場で
椅子をくっつけた にわかベッドに横たわる
とりあえず
子連れの娘たちを 入浴のために家に帰すと
棺の横には
いびきの夫と私だけが取り残された
5人も行ったら
しかもみんな女子だから
12時までには帰ってくるかな
と
ぼーっと待つのも何なので
横になってみた
その にわか作りのベッドで
でも
棺の横 だから
というより
その会場の雰囲気が
おどろおどろしくて
目を閉じても
眠りにつけない
眠りに落ちるのが怖い・・・
じゃあ
眠れないじゃん
と
起き上がり
ゲームを始める
しかし
それも ハートが尽き果てる
遅くなるとは思っていたが
予定通り
11時を過ぎても
戻って来ない
みんなぁ
coming back!!!!
もどらん・・・
と思ったとき
LINEが
静岡の 紅一点とも言うべき夫の従妹から
「今電話してもいいですか?」
もちろんヽ(^。^)ノ
大喜びで電話に出た
そこから
しゃべるしゃべる
あちらは
夜中の11時半
切りたいだろうが
私が切らせない
30分 たっぷり
しかも
大声で話して
眠気と
寒気が吹っ飛んだ
ありがとう
YOSHIKOちゃん
そこからは
長い入浴から帰ってきた
娘たちと いっしょに
棺のそばの にわか作りのベッドに
横になり
独りぼっち感もなく
告別式の朝を迎えた
たどり着いた
告別式は
淡々と進み
特筆することもなく
遺骨となったお義母さんと
帰途に着いた
思い起こせば
土壇場まで家族を呼ばせなかったのは
コロナのせい なんだな
家族が全員駆けつけて
みんなで 見守る
臨終の場は ないんやね
でも
おかげで
夫の姉弟は
親の死に目に会えなかった
にもかかわらず
わたしは
その姉や弟から
感謝された
なんとも 申し訳ない
姑の死となった
でも
あっぱれ98歳
MIYOKOさん お疲れ様(*^^*)
わたしも
やっと
平生の生活にもどった
21.10.14.(木) : 姑 逝く その2
父も義母も
100歳と白寿間近か
なので
それなりに 心の準備はしている
イメージトレーニングはしていて
できれば
お通夜の晩は
棺のそばにお布団が敷けるところが良い
と考えていた
予定では
亡くなった人と 並んで寝られる
広い 畳の部屋のある
葬祭会館を予定していた
休みを明日に控えた火曜日の午後
いつも不良家族で
洗濯物が
溜まっていて
着替えがありませ~ん!!!
と電話をもらう
ので
この日は 気を利かせて
前回との間隔があまり空いていない
タイミングで
洗濯物をもっていくことにした
午後2時半 病院訪問
と
今朝から 呼吸が浅いので
と
師長さんが
病室前まで連れて行ってくれて
動画を撮らせてくれた
ので
帰り際
「家族を呼んだ方がいいですか?」
と尋ねると
「まだ大丈夫です」
との返事
「急にどうということはないですよね?」
「それは、わかりません」
との返事
妙に 腹に落ちないまま
まあ 先のことはだれにもわからんか・・・
と思いながら
帰途に着いた
で
コロナ流行依頼の習慣で
帰宅後すぐに入浴
さて
ゲームでもするか
と
ソファーに腰を下ろした瞬間
携帯が鳴った
「K病院の4階病棟の看護婦の**です
MIYOKOさんの容体が良くないので
すぐに来れますか?」
もちろん
「すぐに行きます!!!」
と返事をして
頭の中でいろんなことが駆け巡る
やばい!!!!!
おばあちゃんは
まず
家に帰ってくる
片付いてない
まずい!!!!!
じたばたと片づけて
いや
その前に
義姉 と 義弟に連絡せねば
夫は松山
うううう
それぞれ繋がらん
まずは
LINEで
文章も浮かばん
母危篤 すぐ帰れ
ということろだが
おばあちゃん
病院
すぐ来れますか?
と送っていた
死亡診断をしないといけない
と言われた
・・・
嫁のわたしだけしかいないのに?
そんな大切なことを?
私だけの前で?
誰か来てくれ~
運よく長女が近くにいて
わたしと 孫である長女
とで
死亡診断をしてもらった
瞳孔も
頭も
心臓も
間違いなく死亡している
と確認された
そのあとも
看護師さんから
おうちの人が来ても
病室の中に全員入ってください
廊下に出たりしないで
と
厳重注意をされた
そうか
これもコロナの影響か・・・
TO BE CONTINUED
21.10.13.(水) : 姑 逝く その1